今朝、たまたま流し聞きしていた
あるアメリカの教会の
牧師先生のYouTubeから
こんな言葉が耳に入ってきました。
「Be careful how you think.
Your life is shaped by your thoughts.」
日本語に訳すと
「心でどう考えるかに注意を払いなさい。
あなたの人生はあなたの思いによって
形成される。」
これは
聖書の中の言葉でもあるようです。
(聖書 箴言4章23節)
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同じ環境にいても
同じことが起こっていても
その人それぞれの
捉え方、考え方、思いで
人生は大きく変わる。
そんなお話しでした。
確かに
同じ経験をしても
同じものを見ても
人それぞれその捉え方や
考え方は
全く違います。
同じ舞台を観ても
「ここが良かった」
「あそこが良くなかった」
色々な感想があるし
アウシュビッツ収容所のような
過酷な状況の中にいても
絶望して生きることをあきらめる人と
目的意識を持って生き延びようとする人とに
分かれるのです。
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人の人生とは
それぞれの心の在り方を
そのまま表すものなのかも
しれません。
歴史上の人物を見ていても
よく分かります。
気持ちの在り方に
人それぞれ、どうして
違いが出るのでしょうか。
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日頃の心の在り方や
ものごとの捉え方の習慣が
その原因だとしたら
日々の自分の心の在り方は
どうあるべきか
日々の様々な出来事から
真剣に考える必要が
あるのかもしれません。
私の生き方の軸は
決して自分ではありません。
「聖書」です。
なんか怪しい宗教みたいな
表現に聞こえるかもしれませんが
でもやっぱり私にとっての中心軸は
主なる神、聖書の言葉なのです。
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どうしても
「我」が出てしまい
自分軸になってしまうことも
日々多くありますが
本当は、聖書の中の言葉が
すべての中心でありたいと
願っています。
なぜなら「自分軸」はとても
ぶれやすいから
今日考えていることと
1週間後
1年後
3年後に考えていることが
全く違っていたりする私
そんなブレやすい自分は
頼りになりません。
でも約2000年前に書かれた
聖書の中の
神さまの言葉は
今も昔も未来も
変わらないからこそ
信頼に値するもの
![image](https://stat.ameba.jp/user_images/20210404/23/etsukoooooooo/91/88/j/o0731049414921428288.jpg)
世界のベストセラーでもある
聖書が
存在していること自体が奇跡✨
29歳の時
アメリカで洗礼を受けてから
聖書が私の生きる軸
私の残りの人生も
ずっと聖書軸の
物事の捉え方や考え方で
形作られていきますようにと
願っています。