教会の玄関のクリスマスリース
毎年教会員の方が手作りして
持ってきてくださるのが
楽しみです♪
今日はアドベントのロウソクが
4本灯った日。
そしていよいよ
来週の日曜日はクリスマスです。
昨年のクリスマスより
今年のクリスマスは
イエス様のご降誕を祝うこの日が
ますます嬉しく思うのは
2022年
聖書を深く読み
同じ信仰を持つ仲間たちと祈り
神さまの言葉が
私の心に
より深く刻み込まれたからかな。
来年のクリスマス
再来年のクリスマス
この世に生きている限り
毎年イエス様の誕生を祝うこの
クリスマスが
ますます喜び溢れるものに
なるように
ますます神さまに
近づけられますように
これから先も
聖書の言葉を深く心に
刻んでいきたいです。
『 私、クリスチャンなんです』
という人がいたら
昔は、
「外国の神さまを信じてるんだなー」
「なんだか神聖な感じがしてカッコいいなー」
とか
「でも私はお寺や神社の方が馴染みがあるし
日本人だから仏教の方がしっくりくるな」
なんて、思っていました。
中学・高校も
浄土真宗系の学校に
通っていましたし
祖母に連れていってもらう
寺社仏閣のあの雰囲気や
お線香のにおいが好きでした。
でも、イエス様を
自分の神さま、救い主として受け入れて
このクリスマスで早16年目。
そもそもなぜ私は
クリスチャンになったのでしょう?
正直それは
私にも分かりません(笑)
言葉で説明することはとても難しい
けれど確実なことは
自分で神さまを求めていたわけではなく
神さまが私に教会へ行く機会を与え
神さまのことを知る道しるべを
示して下さり
信仰に至ったこと。
元々私が計画していたことでは
ありません。
一方的な神さまの恵みであり、
また信仰に入る自由、入らない自由を
与えてくださり
私は信仰に入ることを
神さまの力によって決めることが出来た
それだけです。
だから、
それはきっと
まだ神さまのことを知らない人にも
必ず起こるし、導かれると信じています。
だってこの世を創られ
私たちを創られた神さまは
信仰に入る人だけの神さまではないから。
それくらい偉大で
単なる外国の神さまではない
全世界の
みんなの神さまなのです。
ここのところ急に寒くなったせいか
体調を崩される方が多いようで
身体の健康面で祈ることが増えました。
神さまの癒しがどうか
ありますようにと祈ります
今朝読んだ聖書箇所
マタイの福音書8章17節には
「彼が私たちのわずらいを
身に引き受け、私たちの病を背負った。」
とありました。
彼とはイエス様のこと。
イエス様は十字架の上で
私が抱えていた「罪」という病と
イエス様の命を交換してくださいました。
それは、
医学上の病の癒しを超えた
癒しです。
私たちはそれを受け取るだけ。
一方的な神さまの愛に感謝して
病に苦しむ方々のために
今日も祈ります。
整理収納アドバイザーという職業柄
年末のこの時期は
訪問先の片づけラッシュが
続いています。
と同時に
ちょうど1年前、
もしくは1年半ほど前から
ご依頼いただいたお客さまたちで
今ようやくモノの整理を終え始め、
新しい家具を購入される方が
増えています。
モノがどんどん片づき始めると
家の中の空間や
収納スペースに余裕が出て
もっと気に入った家具を買いたい♪
となられるのでしょうね。
そして
新年を迎えるにあたって
新しい家具で
心機一転新しい気持ちで
過ごしたい!
そんなお気持ちが
芽生えるようです。
そんな片づけラッシュの
なにかと忙しい12月ですが
この時期は
イエスキリストのご降誕をお祝いする
お誕生日月
改めて
神さまがイエス様を
私たち1人1人に
送ってくださったことを
気持ちを静めて
待ちたいものです。
忙しい中でも
心を神さまに向ける時間は
ちゃんと与えられてる
神さま
私たちにイエス様による救いを
与えてくださっていること
本当にありがとうございます。
お片づけ訪問先へ行く際に
最終的に家をどんな風にしたいか
どんな暮らしがしたいかをまずお伺いして
「こんな風にしていこう!」という
ゴールを決めます。
そしてそんなお片づけは
長々と続けるものではなく
必ず「終わり」がやってきて
ゴールに到達する日がきます。
そしてそれは人生も同じ。
私たちに与えられたこの世の命は
長々と続くものではなく
必ず「この世での終わりの時」がやってきます。
でもその先に続く
「永遠に続くいのち」を
実は神さまは
与えてくださっています。
その「永遠に続くいのち」への切符は
神さまが私たち1人1人に示してくださる
「イエスキリストの十字架による罪のゆるし」
を受け入れたときに
必ず与えられる
そしてその切符が与えられる時には
必ず
神さまが「聖霊」となって
私たちの心に働いてくださいます。
このブログを読んでくださっている
お1人お1人が
この世での人生のゴールを迎えるとき
その先の神さまとの時間が
永遠のものとなりますように
貧しい人や
困窮している人への援助は
国だけの責任ではなく
私たち1人ひとりの責任で
全ての人が
自分の兄弟や姉妹の必要を
心配しなくてはいけない
と
マザーテレサはおっしゃっていました。
イエスキリストの言われる
「あなたの隣人を
あなた自身のように愛せよ」
ということば
私の隣人とは
家族であり
友人であり
私の一番身近にいる人達
心の上渇きや困窮にも
耳を傾ける存在でありたいと
願う今日このごろです。
もちろん、
イエス様の力をお借りしながら。
なんの努力もなしに出来ること
自然に出来てしまうこと
それがその人の才能や能力と言われます。
私にとってそれは何だろう?
改めて
少し考えてみました。
★モノを片づけること
★決めたことにコミット出来ること
★言葉や行動の意図がなんとなく
掴めること
神さまが与えてくださった
ギフトでもある
1人1人の才能と能力
これを
誰かのために
神さまの香りを放つことのために
使うことが出来て初めて
人はその能力を
輝かせることが出来る。
「このように、あなたがたの光を
人々の前で輝かせ、
人々があなたがたの良い行いを見て、
天におられるあなたがたの父を
あがめるようにしなさい。」
(マタイ5章16節)
自分の利益のためだけに才能なら
本来の力を発揮出来ない
それって何だか
悲しいですよね。
だからまずは
自分の才能をちゃんと知ることから
最近、そんなことを
聖書の勉強を通して
教えられています。
毎日聖書を読みながら
人生の目的を思い巡らせています。
イエス様のことを知る前は
自分の人生の目的なんて
考えたことはありませんでした。
イエス様を受け入れた後でさえも
自分の人生の目的を
真剣に考えることは
ありませんでした。
でも
イエスキリストを受け入れて
約15年
何かが確実に変わり始めていて
今、ようやく
人生の目的が明確に
分かり始めています。

それは唯一の神さまを
まだ知らない人たちに
伝えること
ここに至るまでの道は
もうずいぶん前から
備えられていました。
それは
イエスキリストを
受け入れるずっとずっと前から。
幼い頃
神さまに守られている気がしたのは
気のせいではなかった。
そしてそれは
この世に産まれた人すべて同じ。
なんとなくどこかにいそうな
漠然とした存在だった神さまは
ちゃんといる
それを知った人の歩みは
ほかの何にも代えがたい
心強さと力に変わる
牧師になるわけでも
伝道師になるわけでもないけど
私は私のままで
これからも神さまと共に。。。
私にお片づけを依頼される方は
欲しいものはなんでもいつでも
手に入れられて
何もかも順風満帆に見える
富裕層の方が比較的多いです。
でも、そういう方が時折見せる
心に抱える孤独や喪失感
それが垣間見える時
私がこの人の側にいるのは
イエス・キリストのご計画が
あるのかもしれない
そう思う時なのです。
神さまが
私をとおして
イエス様の香りを
放たせてくださいますように。