2024/06/24

語ってくださる神さま

 

神さまのことばを聴いているとき


それは


ゆっくりと聖書を読むとき












今日も神さまから


教えられることばがあって


語られることがたくさんありました。



聖書を読むことを


通してだけでなく


映像を観ることも


誰かと話すことも


そして急なアクシデントからも


神さまは私に語ってくださる














私に今何が必要か


教えてくださって


私の心をしっかりと


とらえていてくださる



イエス様が


私のことを救ってくれたから


神さまに近づくことが出来る



この幸せと喜びは


聖霊に満たされていないと


決して味わえないもの



そしてその聖霊様は


イエス様の十字架を信じる心も


与えてくださっている



心が聖霊で満たされますように。


この喜びを


毎日味わうことが出来ますように。

2024/06/22

小さな頃の自分を振り返るとき

 

毎週、お片づけの仕事で


お伺いしている方のお家に


小学1年生の男の子がおられます。


私が通った同じ小学校に通われ、


同じヤマハ教室でピアノレッスンを受け


私もやっていた書道や水泳のレッスンにも


通っているその男の子


小さい頃の自分とほぼ似た道を


歩んでいるその男の子の生活を見ながら


自分の小さな頃のことを重ねて


色々思い出す時間が増えています。















両親は、そうやって


私を色々な習いごとに通わせてくれていて


その習いごとの送り迎えや


スケジュール管理などをして


愛情を持って


大切に育ててくれていたんだなぁと


感謝の気持ちに溢れています。














そしてその両親を


私の親として授けてくださった神さまは


私がまだ神さまをちゃんと知らない頃から


見守っていてくださったんだなぁと


小さい頃の人生を振り返りながら


家族に


そして神さまに


感謝の思いが溢れてくるのです。


これまではもちろん


今現在も


そしてこれからの人生も


神さまはこの命が尽きるまで


一緒にいてくださる


これほど心強い存在が


他にあるでしょうか。


永遠の神さまは


人間の命の長さを超えて


永遠の神さまで


生きている時も


天国に召される時も


いつもいつも一緒なのです。

2024/06/20

不自由のない日常生活

 

母が股関節と膝


ばね指で手足を傷めているのを


間近でみたり


道行く人が杖をついて歩いていたり


歩いたり


日常で身体に痛みや不自由を覚えながら


生活している人を間近にみると


歩けること


仕事が出来ること


毎日健康であることが


決して当たり前のことではなく


与えられているものであることを


実感します。















自分もいつそんな状態になるかは


分かりません。


明日から急にバレエのレッスンに


通えなくなったり


急に仕事が出来ない身体に


なるかもしれません。


今の自分の状態は


神さまからの恵みで


当たり前にあることではないこと


そのことに感謝を忘れず


傲慢にならず


不自由な想いをしている人に対して


無関心にならず


思いやりを持つこと


神さまにあって


力をお借りしながら


家の中でも外でもふるまいたいと


思う今日この頃です。


2024/06/18

ハプニングの中で与えられた平安

 

仕事先だったお片づけ訪問先に


スマホを忘れて来てしまい


気づいてすぐに取りに戻ったものの


お子さんを塾に連れて行った直後で


誰もおられず。。。


塾の後は数時間戻られないことは


知っていたので


数時間スマホが使えず


すぐに連絡しないといけない仕事先もあったりで


気が焦ってしまいました。



でも、ちょうどその日の朝の


聖書の箇所が


「恐れるな。わたしはあなたとともにいる。


たじろぐな。わたしがあなたの神だから。


わたしはあなたを強め、あなたを助け、


わたしの義の右の手で、あなたを守る。」


(イザヤ41:10)


だったことを想い出し、


このことばに


安心を得ることが出来ました。












そろそろお帰りかなと言う時間に


母と弟についてきてもらい


車でその方の家まで


送ってもらい


家に到着すると同時に


訪問先のお家の方もちょうど


私のスマホに気づき、


私の家まで車で


スマホを届けてくださるために


家を出ようとされていた瞬間でした。












行き違いにならなかったことや


家族やお客様の愛情に


本当にありがたいことだなと


感謝することが出来、


結果オーライ



日々の生活で


色々なハプニングは起こり得るけれど


どんな時も


神さまの声に従い


御言葉に耳を傾けることで


「大丈夫だよ。安心しなさい」


と言ってくださる神さまがいること


焦ってしまうこともあるけれど


そんなときこそ一旦聖書を開き


まずは神さまのことばに


耳を傾けることで平安があることを


改めて気づかされた


1日なのでした。







2024/06/16

モヤっとするときパワーをくれるもの

 

誰かに相談したり


悩みを打ち明けたりすることは


少ない方ですが


ほんのたまに


ちょっとモヤっとすることや


これってどうなんだろう?


と疑問に思うこと


そんなことを話せる人がいるのは


本当に心強いなぁと思います。















特に、同じ信仰にある


クリスチャンの友人には


神さまの視点から


聖書はどう言っているのか


一緒に確認したり


祈り合えることの安心感



そんな友人達と


月1回オンラインで話し、


祈り合う時間は


私にとってまた新たな1か月の


力となってくれています。




2024/06/14

すべての喜びは神さまからのもの

 

家族の誕生日の日は


テーブルにご馳走が並びます♪
















昨年の今ごろも


同じお寿司屋さんの


まったく同じ寿司ネタの


桶のお寿司だったな(笑)



今年はクーポンがあったので


3300円もお値引きしてもらえました♪



そして


家族全員大好き


グラマシーニューヨークの


ケーキたち



今年はちょっと豪華に


杏仁豆腐付き














美味しいものを


誰かと一緒に食べている瞬間が


本当にしあわせ



神さまが


美味しいものを味わう楽しみも


一緒に味わうことが出来る家族も


与えてくださっている



すべての恵みは


神さまから


日々のしあわせを感謝せずには


いられません。


「食事をするのは笑うため。


ぶどう酒は人生を楽しませる。


金銭はすべての必要に応じる。」


(伝道者の書 10章19節)


2024/06/12

日々のご飯と聖書のみことば


聖書を毎日読む


これは


ご飯を毎日食べるのと


同じように


クリスチャンにとっては


生きるのに必要不可欠なこと












聖書を読まないで


日々を過ごすことは


もう今では考えられません。



今日も明日も1年後も10年後も


自分の命が続く限り


神さまからの言葉から


力をいただき


また喜びをいただいて


世に出ていくのです。

















そしてその喜びを


クリスチャンの家族や友人達


教会の方々と共に



また


まだ神さまのことを


よく知らない家族や大切な友人たち


周りの方々と共に


分かち合うことが出来る日を


待ち望みながら


今日も静かに


神さまの言葉に耳を傾けて


自分が出来る行動を1つずつする


そこにまた


大きな喜びと使命を感じるのです。


日々の平安とワクワクと喜びに


感謝です。


またその聖書の言葉を


一緒に分かち合い


暗唱しあい


心に刻みあい


祈り合える仲間が


与えられていることにもまた


力をいただくのです。

 

2024/06/10

与えられている時間を管理することも。。。

 

日々、情報社会に生きる私たち


特にインスタやYouTubeなどのSNSや


自分に興味のある分野の投稿が


どんどん画面に登場する仕組みになっていて



美味しいもの


行ってみたい場所


可愛いもの


美容関係の情報


綺麗な人々


次から次へと色々な情報が


目に飛び込んできます。














それらを眺めていると


もう本当にあっという間に時間が経ち


気がつけば


本来知りたかった以外の内容の情報も


たくさん目にして


心が疲れてしまうこともあります。












私たち今生きているこの時間も


神さまから与えられているもの


私たちの命でもあるこの時間こそ


ただなんとなく過ごすのではなく


大切に管理して


使っていく必要があるなぁと


自戒の意味もこめて


実感しています。



情報社会の中で


上手に情報を取り入れながら


何が必要で何がそうでないか


見極め判断する力が


神さまから与えらえますように


祈り続けます。

2024/06/08

「いつも心に太陽を」ではなく。。。

 

「いつも心に太陽を」


という有名なことばがありますよね。


若い頃は


良いことばだけど


いつも心に太陽を置いておくのは


難しいときもあるよね。。。


なんて漠然と思ってしまっていました。














どんな状況でも


希望を捨てずにいなさい


と言うことだと思うのですが


気持ちが暗くなったり


絶望的になったり


否定的になってしまうことも


人間なのであります。




でもその「太陽」の部分を


「神さま」に置き換えてみるだけで


不思議と心がラクになるのです。




自分は暗い気持ちになることも


ネガティブになることもある


でもそんな時でも


いつも心に神さまがいる限り


すべての思いを


神さまはちゃんと知ってくださり


受け止めてくださる。


なんという安心感でしょうか。


太陽ではなく


神さまがいる限り


どんな状況になっても


私は大丈夫だと確信出来るのです。



2024/06/06

「無関心」であることの恐ろしさ


先日、久しぶりに映画館へ行き


「関心領域」という映画を


観てきました。












アウシュビッツ強制収容所の


隣に暮らす収容所の所長


ルドルフ・ヘスの家族の


暮らしを描いたもの




ユダヤ人への虐待や殺害など


残酷なシーンは


一切映像に映らないのですが




叫び声や銃声が


映画の間じゅうずっと鳴り響き


実際の映像を観ているよりも


想像力を掻き立てられて


なんとも恐ろしく


ぞっと怖くなる映画でした。




アカデミー賞の


音響賞に輝いたそうで


映画途中に流れる音楽も


怖かった~💦




他にも


「シンドラーのリスト」や


「戦場のピアニスト」


など


残酷な収容所のシーンがある映画は


何度も観ましたが


昨日の映画は


映像に映っていないところで


何が行われているか


どんな想いが心にあるのか



想像力を掻き立てられるので


実際の残酷な映像を観るよりも


映画の上映の間じゅう


終始ぞっとする怖さが


ありました。。。




人の苦しみに興味のないことは


いかに人は見えていないのか


そしてそれが


どれだけ残酷で


罪深いものなのか


恐ろしい結果に繋がっていくことなのか


自分自身のことを振り返りながら


色々と考えさせられる映画でした。





image




あのシーンの意味は


なんだったんだろう?



想像することを


多いに繰り返される映画なので


色々なシーンに謎が残ります。



それを解くためにも


またもう一度この映画を


観たくなっています。



そして


今この現代で苦しんでいる


イスラエルやガザの人々


ウクライナやロシアの人々


世界各国で起こっている戦争


家庭内で起こっている問題に


苦しむ人々


経済的・精神的に苦しみ


もがいている人々


大人に翻弄されている子供たち



もっとアンテナを張って


彼らのことを考え


祈りに覚え続ける必要があることも


より深く考えさせられています。



「無関心」であった自分に反省し


神さまの助けを借りて


「無関心」の輪から抜けられるよう


自分自身の心の向ける方向も


整えられる必要があること



分かってはいるけど、それもまた


神さまの助けなしには


出来ない自分がいることを


認めざるを得ないのです。



無力な私でも


神さまの力で


まずは祈ることが出来ますように。。。





2024/06/04

頭痛薬がいらなくなった日々

 

ほんの数年前まで


頭痛薬が常備薬でした。












1か月に2~3回は


必ず飲んでいないと


痛みがひかずに


仕事も出来ない状態でしたが


不思議なことに


この数年で


頭痛薬を買うことが


なくなるほど


頭痛がほぼ完全になくなりました。














仕事環境が変わったこと


働き方や仕事内容も


がらっと変わり


気持ちの負担やストレスも


かなり軽減されたことが


大きな原因ですが


そんな環境を与えてくださったこと


私に環境を変えるための


想いを与えてくださったのは


やっぱり神さまなのです。














聖書にこんな言葉があります。


「神は、みこころのままに、


あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、


事を行わせてくださるのです。」


(ピリピ2章13節)



前の職場環境にずっといることの


身体への負担と危機感に


まずは気づかせてくださり


自分の能力を活かす仕事は何か


ストレスなく


身体の健康の負担なく


この先長く続けられることとは


一体何か


深い思いが与えられました。


おかげで


今は「モノを整理する」という


あっという間に時間が経つほどに


没頭出来る大好きな仕事に


つくことが出来、


頭痛薬が本当にいらなくなり


身体の健康が守られています。


すべての思いは神さまから。


すべてのことは


自分の努力で得たものではなく


神さまから与えられるということに


安心することが出来


すべてをゆだねて


日々を過ごせること


健康な身体も与えられていることの恵みに


感謝なのです。