2024/02/12

神さまにとどまる、ということ


聖書には


「ぶどうの木」が出てきます。


「枝がぶどうの木についていなければ、

枝だけでは実を結ぶことができません。」


(ヨハネの福音書15章4節)


この例えは


ぶどうの木が神さま


ぶどうの枝は私たち人間を表しています。


ぶどうの枝は


ぶどうの木である神さまに


とどまっていなければ


実を結ぶことが出来ないのと


同じように


私たちは


神さまにとどまっていないと


何もできない、と聖書は語っています。










「わたしはぶどうの木で、

あなたがたは枝です。

人がわたしにとどまり、

わたしもその人の中にとどまっているなら、

そういう人は多くの実を結びます。

わたしを離れては、あながたがは

何もすることができないからです。」


(ヨハネの福音書15章5節)



神さまにとどまっているために


日々、神さまに祈る時間


聖書を読む時間


聖書の御言葉に想いを巡らせる時間を


意識的につくらないと


とどまることが本当に難しい。。。


そのことも知っています。



1日24時間を


何に使うかを選ぶのは自分


どうすれば


神さまにとどまっていることが出来るのか


考えさせられる日々なのです。



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