2023/08/30

「死を考える」ということ

 

先日、オンラインでお片づけレッスンを


受講くださった60代の女性


家が片づいていかない原因を知りたくて


同じクリスチャンでもある私のブログを


見つけていただき、


まずはオンラインレッスンでお話ししてみたい、と


ご連絡をくださいました。













お話ししていく中で


小さい頃に亡くされたお母様のことを


最近よく思い出されるとのこと



年齢を重ねるにつれて


「死」というものが間近にせまることを


日々考えるとおっしゃられ



60代ならまだまだ若いと


私は思うのですが


特に身体が自由に動かなくなる体験をしたり


周りの方にご高齢の方が増えてくると


「命」には限りがあることを


現実味を帯びて


痛感するのかもしれません。



クリスチャンにとって


「死」は決して嘆くべきことではなく


天の神さまの元へ帰る、ということ
















すなわち天国は、HOME


帰るべき家、なのです。


「死」を口にすることも


常識的にはタブーとされますが


「死」は例外なく誰にでも訪れるもの


決して無視して通ることは出来ません。


生きている限り


常に意識するべきものだと思っています。



自分の命の始まりも終わりも


決して自分ではコントロールできない


神さまが決定をくだします。


年齢も関係ありません。



常日頃からその意識を与えてくださり


命の大切さ


この世で生きる意味


すべてを聖書を通して学びます。



私が信じるのは


神さまの言葉だけ


イエスキリストの言葉だけです。



だからこそ


命が取られるときにも従いたい


「死」は私にとって


安心でしかない


今回オンラインでレッスンを


申し込んでくださった方にも


同じように伝えてみました。



その方もクリスチャンで


イエスキリストの信仰をお持ちでしたので


小さいころ離れたお母さまに


天国で逢える


という希望を持ってレッスンを終えられ


気持ちが整理出来て


家の片づけも進められそうです


というメッセージをくださいました。



神さまが


私の口を通して


その方に語られたのですね。



「主は与え、主は取られる。


主の御名はほむべきかな。」


ヨブ記1章21節



その方とのオンラインでのお片づけレッスン


また来月も続きそうで


私も楽しみにしています♪



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